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ACORN vol.4 厄介な連中16: 昇るか降りるか東京タワー

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ACORN vol.1 DESPERADO

Տարի:
2018
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ACORN vol.5  New York 2010: 硝子の街にて 番外編

Տարի:
2018
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japanese
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Character

   Prologue

    1

    2

    3

    4

    5

    6

   Epilogue

あとがき





厄介な連中 16





昇るか降りるか東京タワー





柏枝真郷





Character




遠 とお 野 の 遼 りよう 一 いち 郎 ろう …………作家



宮 みや 城 ぎ 篤 あつ 史 し ……………遼一郎のイラストレーター兼愛人



遠 とお 野 の 美 よし 雪 ゆき ……………遼一郎の息子



毛 もう 利 り 直 なお 樹 き ……………愛読者



薄 うす 井 い …………………月刊「空中楼閣」編集者



高 たか 野 の …………………警視庁捜査一課 警部



ドイル・アーデン…旅行者



遠 とお 野 の 敬 けい 一 いち 郎 ろう …………遼一郎の伯父(故人)



伊 い 藤 とう …………………医師 遼一郎の友人





   Prologue





「そいつ、かなり慌ててさ。もちろん金はキャッシュで払ってくれたし、俺もしっかり勘定したさ。だが、奴は拳銃を引っつかむなり逃げ出して。弾も一ケース用意してあったのに、置いていっちまったんだよ」

 そんな物騒な会話が聞こえてきたのは、弥生の空に枝を伸ばした桜に、やっと蕾らしきものがちらほら見える日のことだった。昨日は霙交じりの雪だったが、今日は早朝から快晴で、陽の差さない暗い路地裏でさえ、雪が解け水溜まりに変わってしまっている。

 気温も上がり、都心を吹き抜けるのは心地よい春風だったのに、聞こえてきたのは、物騒すぎる会話だったのだ。

 もしも、ここがニューヨークならば、ありふれた会話だったかもしれない。

 しかし、ここは日本だった。公用語は日本語なのに、その会話は英語だったし、一般市民の銃器類の保持は原則として禁止されている。警官でさえ所持はできても、発砲する機会は滅多にない。是非はともかく、一般市民にとって拳銃は、「TVドラマか映画などのフィクションか、海外ニュースでしか見たことがない」凶器らしいのだ。

 らしい   というのは、彼が日本人ではなく、ニューヨークから成田空港に昨日到着したばかりの旅行者だからだ。

 彼の名はドイル・アーデン。わずかに白髪が入った黒髪に、琥珀を彷彿とさせる焦げ茶色の瞳と、色彩だけは東洋系に見えなくもないが、肌の色も、彫りの深い顔立ちも、典型的なアングロサクソンのものだ。

 すらりとした長身を包むのは黒いピンストライプのスーツに、カーキ色のトレンチコートと、ウォール街あたりを闊歩するビジネスマン風   いや、五十歳前後という年齢から見て摩天楼の上層階から馬車馬のごとく働くビジネスマンたちを見下ろしている管理職、といった風格もある。

 表情も穏やかだ。琥珀色の瞳を縁取る目元も、春風に舞う蝶をながめているかのようだ。しかし、その視線はその蝶の繊細な羽根の一瞬の動きを見逃さず、壁にピン留めしてしまいそうなほどの鋭さと威力があったかもしれない。

 とはいえ、それに気づく者は周囲にはいなかっただろう。平日なのに立錐の余地もないほどの群衆に溢れた観光地   朱色と白のツートンカラーに彩られた鉄骨が空を貫く超高層建造物、つまりは東京タワーの内部だ。

 ただし、ドイルがいるのはその一階、地上からの出入り口でもあり、大展望台へのエレベータ乗り場でもある。どのエレベータの前にも行列ができているが、長くても数十分ほど待つだけで乗れるようだ。平日だからかと考えたのだが、

「本当に待つのは、大展望台に着いてからだよ」

 そう説明したのは、東京案内を買って出てくれた少年、遠野美雪よしゆき だ。十七歳で、四月が年度替わりの日本では高校三年生になるらしいが、せいぜい十五歳くらいにしか見えないのは、眼がこぼれそうなほど大きいからだろうか。

 頬のラインも柔らかく、体つきも華奢なので、ニューヨークにいたら少女かと勘違いされそうだが、日本にいる分には平均的な骨格に入るのかもしれない。周囲の日本人を見ていると、男女の骨格の差にさほどの違いがないように思える。肥満大国に向かいつつある国の人間から見ているせいかもしれないが。

 ともあれ、美雪の英語能力はかなり達者だ。ネイティブな発音かどうか気にしていたが、「ニューヨークの住人の半数近くはネイティブではない。むしろ『人種のモザイク』と呼ばれるように民族ごとのコミュニティが発達していて母国語だけでも生活できるせいか、英語の読み書きはもちろん話せない者もいる。移民二世でも母国語の訛がきつくて聞き取りにくい英語を話す者もいる。それに較べれば流暢なほうだ」とドイルが答えると、ほっとしたようだった。

 その美雪が詳しく説明してくれたところによれば、東京タワーには大展望台; のさらに上層に「特別展望台」があり、そこに昇るには大展望台の二階でさらにチケットを購入し、エレベータに乗らなければならないのだという。しかも、

「大展望台での待ち時間は平日でも三十分以上かな」だそうだ。「でも、こんなふうに行列を作って待つわけじゃないんだよ。チケットに番号が印刷してあって、電光掲示板に『何番から何番まで』という表示が出るまで、好き勝手に遊んだり、カフェでお茶飲んだり、景色を見たりして過ごせばいいわけ」

「なるほど、空港の出発ゲートのようなものか」

 ドイルがその説明で納得したとき   冒頭の物騒な英語が聞こえてきたのだった。早口の英語だったせいか、周囲の観光客に動揺や驚愕の様子は見えない。

 美雪も顔色は変えなかったが、大きな眼がさらに大きく見開いた。声の主は美雪の背後にいるが、聞き取れたのだろう。眼だけが動き、ドイルを見上げた。

 ドイルが黙ったまま軽くうなずくと、美雪は間近に寄ってささやいた。

「振り返らないほうがいい?」

「ああ。だが   」

 ドイルが一瞬だけ声を詰まらせたのは、見慣れた「物」が見えたからだった。

 黒い鐔つば つきのヘルメットに、重そうな上着をまとった男たちだ。上着には黄色い蛍光のラインが入っているし、無骨なヘルメットには「16」や「27」といった番号がペイントされ、さらには空気ボンベまで背負っている。

 どう見ても消防士ではないか   それもニューヨーク消防局の。「日本の消防士も、あんなユニフォームなのか?」

 大袈裟に美雪の背後を指さすと、美雪も振り返った。

「……違う……はず。服はオレンジっぽい色だし、ヘルメットも……あんな年代物じゃないよ」

「年代物、か」

 ドイルは苦笑した。おりしも、日本の消防士らしき姿が見えたからだ。たしかに、そう形容されても仕方がないほど日本の消防士の制服はスマートだ。体にフィットしたデザインだし、今日支給されたばかりの新品かと勘違いしそうなほど汚れも見当たらず、生地などもハイテク素材なのか薄く軽く見える。

 極めつけはヘルメットだ。煤の汚れがまったく見えないだけでなく光沢まで放っている。もしかしたら消火作業時の制服ではなく、何かのイベント用の制服なのか。

 日本の知人   警視庁の警部でもある高野から聞いた話では、警察機構もかなり異なり、一流大学を卒業し上級公務員試験に合格したエリートまで警官になるそうだから、消防庁も万年予算不足のニューヨーク消防局とは雲泥の差の待遇なのかもしれない。

 妻と子供が二人いる消防士の給料が、貧困層向け食料切符の支給範囲に入ってしまう   などといった薄給ではないはずだ。いや、命懸けで消火と人命救助に向かう消防士の給料があれほど安いニューヨーク消防庁のほうが異例なのかもしれない。

「消防士が沢山……」

 一方、美雪は消防士たちに夢中になってしまったようだ。大きな眼は、先ほどの物騒な会話など忘れてしまったかのような興味と興奮で輝いている。「しかも日本と外国……合同訓練とか   そうか、あれだ!」

 ふいに腕を伸ばし、指さしたのは右手の壁に貼られたポスターだった。かなり遠いが、赤い鉄階段を昇る消防士の姿が描かれている。

「階段昇降レースか」

 ドイルも納得した。「エンパイア・ステートビルでも似たようなレースを毎年開催してるな。今回は日米合同なのか」

「みたいだね。ここから文字は読めないけど」

 美雪は背伸びをし、首を伸ばしてポスターを見つめている。ドイルもポスターに顔を向けた。しかし、その鋭い視線は先ほどの声の主から離れることはなかった。





     1





 東京タワーの遙か西、タワーの展望台からも見えないほど遠く離れ、二十三区からも外れた東京都下

 武蔵野の原生林に囲まれた広大な霊園では、昨日の雪が解け、あちこちに水溜まりを作っていた。朝方にたなびいていた春霞が薄れると、立ち並ぶ墓石も濡れた御影石が陽光を弾きだす。

 園内の桜も、冬眠から醒め、やっと蕾を膨らませる春の到来だと気づいたかのようだ。霊園前の小道はアスファルトこそ乾いてはいたが、バスや墓参客を乗せた車が通るたび、濡れたタイヤの痕が幾本もの筋を引いた。

 その小道の外れに、まるで幽霊屋敷かと勘違いしそうなほど古い洋館が建っている。築八十年を優に超え、解けた雪が雨漏りしているなど廃屋に限りなく近いが、居住者はいる。

「ええと……たぶん終わる……はずです」

 コードレス電話の子機を手に、一刻も早く電話を切りたそうな表情で答えているのが、居住者の一人、宮城篤史だ。

 憂い顔が似合う美貌の青年で、子機を握った左手首に包帯が巻かれていたりと、醸し出す退廃的な雰囲気はこの屋敷に似合いそうではある。実際、この包帯の下には、何度もリストカットした痕が残っているのだ。

 一方、右手に握っているのは、ペンである。ボールペンやサインペンではなく、いちいちインクをつける必要のある「つけペン」だ。今時こんなペンを使うのは漫画やイラストなどの描画用くらいだが、篤史もいちおうはイラストレーターだ。

 電話の相手は、超マイナーなミステリ雑誌、月間「空中楼閣」の編集者で、名は薄井。まといつく胃薬の匂いよりも影が薄い男だが、こと締切厳守の編集者として右に出る者はいないのではないか、と篤史は思っている。そのスッポン並みの執念深さは、掲載する小説はもちろん、挿絵にも及ぶのだ。

「『はず』ですか」

 子機から聞こえる薄井の声は、幽霊のような怨念さえ感じる。「では、予定どおり明日の夕方に受け取りに参ります」

 意外にもあっさりと電話が切れたが、背筋も凍るような怨念とともに胃薬の匂いまで漂っているかのようだ。

「……はず……だよな……」

 子機を充電器に戻しつつ、篤史は溜息まじりにつぶやいた。昨夜は突然の来客であまり捗らなかったが、今朝からせっせと頑張って下描きは終わった。今日の午後からの半日と明日一日あれば、終わるだろう。たぶん、きっと   そのはずだ。

 自分に言い聞かせつつ、早速仕事に着手する。とはいっても、居間のテーブルをちゃぶ台代わりに使っているのだが。

 仕事用の専用デスクは、ない。自分の部屋も、ない。篤史は居候なのだ。

 いや、居候になったから、イラストレーターになったと言うべきか。

 この洋館の主人、遠野遼一郎がミステリ作家なのだ。超マイナーな雑誌に書いているだけあって、作家としても超マイナーだが、作風も超異色   いや、「異色」という表現そのものが好意的すぎるかもしれない。

 トリックだの動機だのといったミステリに必須の要素はあるにはあるが、読後に残るのは、過剰なほど克明な遺体描写なのだ。もちろん、ミステリなので殺された遺体だ。しかもその大半が、限りなくスプラッタに近い惨殺遺体だ。

 何十箇所も滅多刺しにされて内臓が飛び出ていたり、発見まで一週間以上を経過してウジ虫がうじゃうじゃと涌いていたり   しかも、挿絵に関しても、その克明な描写を忠実に再現しなければ、遼一郎からクレームの嵐が吹き荒れるのだ。その嵐の最初の被害者は、編集者の薄井だった   篤史が居候するまでは。

 つまり薄井が遼一郎とイラストレーターとの仲立ちをしてくれていたのだが、それでもイラストレーターにとって遼一郎の苦情は、理不尽すぎる要求だったらしく、大半が一度の仕事で逃げ出して次々と交替し、遂に挿絵描きを引き受けてくれるイラストレーターが皆無になったとき   ゆえあって篤史が居候になったのだった。

 美大出身だと洩らしただけで、一枚も絵を見ていないのに挿絵を描けと命じられ、締切の崖っぷちに立った薄井の気迫に押されるがままに描いた。流血酸鼻の遺体描写を読み、細切れになった大腸からウジ虫の一匹一匹まで頭の中で想像し、純白の紙に具現化する   まさに阿鼻叫喚の作業をこなせたのは、完成するまで傍らに陣取って胃薬を飲み続ける薄井のほうが、より怖かったからかもしれない。

 それから数年、篤史は毎月のように締切の波を乗り越えてきたから、完成までの目処はある程度つけられるようになった。今回もおそらく間に合うはずだが、なぜか、いつもの締切前とはなにか違うような気がするのだ。

 何か   切羽詰まったような焦り、崖っぷちに追い詰められているような危機感だろうか。なけなしの理性が「こんな余計なことは考えずに、さっさとペンを動かせ」と命じているのに、その命令を心のどこかがブロックして腕まで伝わらない。

(……やっぱり、美雪が原因かな……)

 美雪は遼一郎の息子で、遼一郎の両親、すなわち祖父母に阿佐ヶ谷の実家で育てられている。週末や長期休暇によく遊びにくるのだが、この春から高校三年生になり、進路に悩み始めたらしいのだ。

 経済的には問題ない。成績も良いらしい。むしろ、不得意な科目がないオールマイティな優等生あるがゆえに、目標を定めるのが難しくなってしまっているようだ。大学での専攻がそのまま卒業後の職業を左右するとは限らなくても、たとえば医者志望であれば医学部のない大学を受験する者は滅多にいないだろう。

 目標が定まらないから大学の専攻も選べない。そんな迷いの状況にいるが美雪を悩ませているようだ。篤史のように絵を描くこと以外は不得意で、美大への進学しか選択肢がなかった者から見れば贅沢な悩みだが、運が悪ければ器用貧乏になりかねない危うさもあるだろう。しかし

(十七歳か……)

 なぜか篤史は、自分が三十歳のおじさんになった実感がさらに強まったのだ。

 美雪の悩みや迷いに関しては、さほど心配する必要もないと思う。よく子供には無限の可能性があると表現されるが、美雪はまさにそれだ。一度や二度の失敗しても、またやり直しが利く。

 一方、篤史は

 美大に進学して小さいながらもデザイン事務所に就職し   ここまでは高校時代に夢見ていた進路だ。ゆえあってデザイン事務所をクビにはなったが、今はイラストレーターになったのだから、夢破れたわけではない。しかし

「宮城さん、お昼ご飯の支度ができましたよ~っ」

 出し抜けに頭上から声が聞こえた。素っ頓狂なほど脳天気な声の持ち主が、居間のドアから顔をのぞかせている。

 縞の和服に襷を掛け、長髪を三つ編みにして馬の尻尾のように背中に垂らした男だ。名前は毛利直樹。コスプレや特別なイベントがあるわけでもなく、これが日常着なのは、実家が浅草橋にある老舗の呉服屋だからだ。さらに職業は売れない時代劇役者で、現時点では斬られ役ばかりらしい。

 この屋敷にはTVがないので、実際に観たことはないのだが、衿の合わせからのぞいているのは、匕首あいくち だ。もちろん本物だから、銃刀法違反で逮捕される恐れもある。

 この毛利がなにゆえこの屋敷にいるのか。早い話が、遼一郎の大ファンなのだ。現在は実家の呉服屋を姉たちに任せ、押しかけ「家来」として、掃除洗濯から炊事まで、あれこれ無料奉仕してくれる。

「……昼食か……」

 食欲はないが、これ幸いと篤史がペンを置いたとたん、電話のベルが鳴った。ちなみにコードレス電話で、親機に加えて子機が五台、なぜかこの居間に全部揃っている。合計六台の電話機が奏でるベル音は、霊園で安眠する御霊をも起こしてしまいそうな騒音公害だ。

(薄井さんかな?)

 ついさっき電話で話したばかりだが、言い忘れたことでもあるのかもしれない。

「どなたでござんしょ?」

 毛利が先に手近にある子機を取ってくれた。「はい、遠野家で   あ、美雪ぼっちゃま」

「美雪?」

「お変わりは? ……そうですか。それは、ようございましたね。……はい、いらっしゃいますよ。少々お待ちを」

 うやうやしく両手で子機を持ったまま、毛利は廊下へ出ていく。数秒後、ドアをノックする音に続き、「遠野センセ、美雪ぼっちゃまからお電話ですよ」

(……ってことは、無事にドイルと会えたのか)

 今朝方、張り切って屋敷を出ていった美雪の姿を思い出す。昨日の客は、ドイル・アーデンというニューヨークからの旅行者だったのだが、夕食の席で、美雪に「東京の観光案内」を頼んだのだ。

 英語が堪能な美雪は、ちょうど春休みに入っていたこともあり、快くOKして、ドイルが逗留している帝国ホテルのロビーで待ち合わせをする約束をしていた。ドイルがホテルへ帰っていった後は、どこを案内しようかと、あれこれ考えていたし、今朝も待ち合せに遅刻しないよう、余裕を見て早めに出ていったのだが

「美雪ぼっちゃまは、ドイルさんと東京タワーにいらっしゃるようですよ」

 いそいそと毛利が居間に戻ってきた。子機は手にしていないから、遼一郎が電話中だろうか。「なんでも、日本とニューヨークの消防士さんの階段昇降競争があるとか」

「……階段昇降……?」

 意味不明だ。「どこで?」

「ですから、東京タワーでござんすよ。拙者も子供の頃   小学校の遠足でしたか、階段で展望台まで昇ったことがありましたが、宮城さんは?」

「……俺はない。っていうか、東京タワーそのものに行ったことがないから」

「行ったことがない? 宮城さん、江戸っ子ですよね?」

「東京生まれだけど……江戸っ子じゃないはず。祖父母は地方出身だから。三代続いてないと江戸っ子とは呼べないんだよね?」

「厳密にはそうです。でも、東京でお育ちなのに、一度も東京タワーに行ったことがないんですか?」

「ない。小学校の遠足でも東京タワーはなかったし。それより、その階段を昇る競争って?」

「ですから、消防士さんが競争するらしいですよ。拙者もいまいちわかりませんが、あれじゃないですか? 出初め式みたいな催しというか。あれも梯子を登るわけですし、消防士さんのお仕事には階段や梯子がつきものというか」

 毛利の説明も曖昧だ。篤史はますます五里霧中だ。第一、なぜニューヨークの消防士まで参加するんだろう? 昨日の客人、ドイルはニューヨークからの旅行者だが、消防士ではなく、警察官   警部だったはずだ。

「さほど的外れではないな」

 出し抜けに声が割り込んだ。この声は

 振り向くまでもない。居間の戸口に現れたのは、この屋敷の主、遠野遼一郎だ。「ビル火災では、エレベータは使用禁止が原則だ。シャフトが煙突同然になって炎を上階に吹き上げる危険もあれば、火災や消火活動で停電になる危険もある」

 説明する声は、紅蓮の災さえも瞬時に氷のオブジェと化してしまいそうなほど冷ややかだ。誕生日がめでたいことに一月一日元旦の四十一歳。日本人離れした長身に彫りの深い顔立ちは、薄い唇が残忍なほどの冷酷さを感じさせ、吸血鬼伝説を彷彿とさせる。ただし、身にまとっているのは、毛玉のついたセーターにB級品のリーバイスなのだが、それもまた俗世を超越した威厳にさえ感じられるのは、篤史だけではないはずだ。

 遼一郎が手にしたコードレス電話の子機を充電器に置くのを尊敬の眼差しで見上げていた毛利が、嬉々としてうなずいた。

「さすが遠野センセ。つまり消防士は階段を使うしかないわけですな。ってことは、万が一、東京タワーが火事になったら……やっぱり階段ですか」

「例外もある。十一階以上の高層ビルでは火災の際に消防士だけが専用のキーで動かせる非常用エレベータの設置が義務づけられている。五十一階まで階段を駆け上るのと、エレベータで昇るのとでは所要時間が比較にならない。一般市民も階段を降りて避難するのは困難だ」

「五十一階……。拙者でも降りるのは難しいですな。足腰の弱い方やご病気の方には、無理でしょう」

「その場合は、消防士が担いで降りるしかないだろう。ゆえに、非常用エレベータの設置が義務づけられてはいるが、最悪の場合は、やはり階段しかない」

「なるほど。その非常用エレベータの近くが火元だったりしたら使えませんしね」

 毛利はいちいちもっともらしくうなずいている。「消防士さんは大変な職業でござんすねえ。命懸けで火を消すだけでなく、人命も救助しなきゃならない。拙者は斬られ役専門ですが、一度、火消しのエキストラが足りないとかで、急遽、やらされたことがありまして。斧を持って打ち壊すだけでしたな。当時は消防車などなかったですからね」

「今も斧は持っているはずだ。延焼を抑えるための打ち壊しは有効な手段だが、密閉製の高いドアに鍵が掛かっている現代だからこそ、ドアを打ち破るための斧は必要だろう」

 そこまで説明した遼一郎が、毛利を振り向いた。「これからの予定は?」

「拙者の予定ですか? 今日は昨日の遅参を挽回するために、美雪おぼっちゃまがお帰りになるまで、お手伝いする所存ですが」

「ならば、私についてきてもらおう」

「……拙者がセンセのお供を? それはまさに恐悦至極」

 今にも床に平伏しそうな毛利を横目に、遼一郎が篤史を見下ろした。「おまえは締切前だから、ここで留守番だ」

「別にいいけど……。でも、どこへ行くわけ?」

「東京タワーだ」

 背を向けて居間の戸口へと歩きながら、遼一郎が答えた。





     2




「あっちが東京湾で、このすぐ近くに見えるのが、東京プリンスホテルかな」

 ガラス窓越しにあちこち指さしながら、美雪はドイルに説明した。東京タワーの大展望台から見える景色の第一印象は、東京が意外なほど緑の多い街だということだろうか。前回もそう感じたが、やっと春が到来し、木の芽の息吹が感じられる今も、そう感じるのは、落葉樹だけでなく杉や松などの常緑樹も多いからだろうか。「残念だなあ、あと二週間か……十日後なら、桜が満開になってもっと綺麗な景色だったはずなのに」

「三月下旬が見頃か」

「異常気象でもなければ、そのあたりかな。今、枯れ枝に見える街路樹の大半が桜だよ」

「これが一斉に咲くのか」

「一斉とは違うかな。桜にも種類があって、開花時期もそれぞれ違うから。一般的なのがソメイヨシノで、これが開花時期の基準なのかな」

「ソメイ……」

 ドイルの声が途切れた。何か思いついたのか、上着の内ポケットから、手帳を取り出した。挟まれている紙片は新聞の切れ端のように見えるが   印刷されているのはクロスワードパズルだろうか。「綴りは? 『someiyoshino』か?」

「そう」

「なるほど。ヒントが『チェリーブロッサム』だから、『sakura』かと考えたんだが、文字数も少ないし、別の日本語があるのかと   そうか、代表的な桜の名称か」

 合点したように大きくうなずき、ドイルが手帳を下敷きに、クロスワードパズルに答えを書き込んでいる。その横顔は、ニューヨーク市警の警部というより、どこかの大企業の役職者が趣味のパズルで息抜きしている、といった風情だ。先ほど、一階でエレベータを待つ間に垣間見えた針のような視線の鋭さは消えている。

 しかし、パズルの答えを書き終え、手帳ごと内ポケットに戻したドイルの視線は、景色ではなく、二人の男たちに向けられているはずだと、美雪にはわかった。

 海外からの観光客も多いから、その男たちもさほど目立たない。ダウンジャケットにジーンズの服装も、ありふれている。年齢はいまいち自信がないが、二人とも三十歳前後だろうか。一人はいかにも西洋人といった大柄な男で、もう一人はひょろひょろと折れそうなほど背が高く、極端なほどの凸凹コンビだ。

(だが、奴は拳銃を引っつかむなり逃げ出して。弾も一ケース用意してあったのに、置いていっちまったんだよ)

 美雪には、たしかに「handgun」と聞こえた。もしもドイルと同行していなければ、他の観光客たちが話す英語など、BGMのように聞き流していたかもしれない。「ドイルと会話する」=「英会話する」だからだ。

 とはいえ、日常会話に「拳銃」が出てくるなんて   ここはニューヨークではなく、東京ではないか。昨夜、ドイルが警部だと知り、「拳銃を持ってるの?」と、尋ねたのを思い出す。

 そのときのドイルの返事は、「今は持っていない」だった。公務ではないプライベートな旅行で、旅客機に拳銃を持ち込むのは難しいのだろうか。映画の「ダイハード」では、ニューヨーク市警の巡査部長という設定のマクレーンが旅客機の中で持っていた記憶があるが、あれはアメリカ国内旅行だったからか。同じくニューヨーク市警の刑事が主人公の「ブラック・レイン」は、日本に拳銃を持ってきていたが、あれは公務だからか   などと、過去に観たニューヨーク市警の刑事が出てくる映画をあれこれ思い出したものだ。

 実際のところ「ニューヨーク市警の警部が訪日した」と聞けば、まさに「ブラック・レイン」さながら「犯罪者を追跡して」といったシチュエーションを想像してしまうのだが、ドイルが「持っていない」というのなら、そうなのだろうし、捜査には無縁の旅行なのだろう。

 この東京タワーも、美雪がドイルに東京観光を頼まれたから来たのだ。偶然とはいえ、拳銃云々の話を小耳に挟むことになるとは予想だにしなかった。ドイルも同様のはずだ。それでも注意を怠らないのは職業意識か

(どこの国の人たちだろう?)

 白人で英語が母国語の国は、色々ある。同じ英語でも国や地方の方言があるらしいのは、これまで読んだ翻訳小説や映画で多少は知っているが、方言の微妙な違いまではわからない。アメリカ人だとしても、ニューヨークとは反対側の西海岸の住人かも   ……。

(大混乱だ……)

 次から次へと疑問が浮かび、頭の中をぐるぐる回っている。ドイルに訊けば、多少は解決できるはずだが、あの男たちの件に関しては美雪もドイルも、一言も口にしてはいない。ドイルは美雪も気づいているのを察してくれているようだが

「消防士の階段昇降レースはどうなったかな」

 ドイルがつぶやいた。

「もう終わってるかも」

 美雪は外階段からの出入り口がある方角を振り向いたが、人が多すぎてよく見えなかった。「ここは、いちおう『大展望台』って名前がついてるけど、地上百五十メートル   東京タワーの高さの半分にも満たないんだよ。階段も五九〇段って聞くと大変そうだけど、脚力に問題ないなら、そんなに時間もかからないはず。休日や夏休みは一般開放されててね、僕も小学生の頃かな、友達と一緒に昇ったけど……十五分くらいしかかからなかったかな。なんか拍子抜けしたのを憶えてる。まあ、消防士さんの場合、あの重そうな装備がハンデになるから、もっと大変かも」

 美雪はフットタウンの一階で見かけた消防士たちの姿を思い出してみた。耐火服やヘルメットだけでも重そうだったが、酸素ボンベまで背負っていた。全部の重量はどのくらいだろう。

「約六〇ポンド」

 まるで美雪の心を読んだかのようにドイルが答えた。

「ポンド……ええと、キログラム単位に直すと約半分だから、三十キロ?」

 ヤードポンド法に面食らいつつも概算してみる。「子供一人を担いでるようなものか」

「そのくらいだな。もっとも実際のビル火災では、その装備に加え、さらに大人一人を担いで階段を降りてくることもあるだろうから、さほどのハンデではないだろう」

「……そうか。逃げ遅れた人や負傷者を運んで助けなきゃいけないのか。トレーニングで鍛えてるだろうし、基礎体力も桁違いだろうけど……僕、消防士になるのは無理だな」

 美雪は苦笑してしまった。「運動は得意なほうだけど、力持ちじゃないから」

 つい言い訳めいた補足までしてしまったのだが、

「では、将来の職業候補がひとつ消えたな」

 ドイルは軽く肩を竦めただけだった。「こうやって消去法で消していけば、絞り込めるだろう」

「……そういう考え方もあるんだ」

 ちょっとした驚きだった。自分にはできない、無理だ、と否定的に思うのは、マイナス思考のはずなのに   ドイルの考え方は、まるで問題を一つ解決できたかのようなプラス思考だ。「そうだね。無理そうな職業をリストアップしたほうが早いかも」

 将来なりたい職業が決められないから、大学の進路も決まらない。たいていの科目は好きだし、学びたいことも沢山あるが、だからこそ逆に「これ」と目的を定められない。広大すぎて水平線しか見えない海の前で途方に暮れているような気分だったのだが、波が激しく航路には適さない方角が一つわかったような

「アメリカで消防士は男の子の憧れる職業ナンバーワンだが   日本では違うのか?」

「憧れの職業   日本はスポーツ選手かな。アメリカは消防士が人気なの?」

 美雪には危険な職業ナンバーワンが消防士、というイメージがある。危険なのは警官も同じはずだが、日本の場合、「治安がいい」の先入観があるからか消防士のほうがより危険なイメージだ。「警官は?」

「二番目か三番目だな。人命救助をするヒーローという点では消防士のほうが上だろう。悪徳警官はいても悪徳消防士は滅多にいない。敵は犯罪者でなく、炎だから」

「……悪徳消防士か……。あれ? 『マッチポンプ』って英語じゃなかったっけ」

「マッチポンプ?」

「周囲から賞賛されたいために、自分からマッチで火を付けて、ポンプで消火すること」

「……それがマッチポンプか。言い得て妙だな」

 ドイルが軽く口笛を吹いた。どうやら初耳だったらしい。「具体的でわかりやすい。そういう消防士も稀にはいるが   日本語じゃないのか? 以前、高野から『ガソリンスタンドはどこか?』と訊かれたとき、意味がわからなかったが、ガス・ステーションのことだった」

「ってことは、和製英語か」

 詳しくは、父の遼一郎に訊けばわかるだろう   美雪は腕時計を見た。一階であの男たちの会話を耳にした後、ドイルが「父に電話をかけたい」というので、いったん順番待ちの行列を離れ、電話ボックスから家に電話をしたのだ。

 ドイルは電話番号を知ってはいたが、電話に出るのは篤史か毛利さんで、二人とも英語は苦手そうだから、まず美雪がかけて、出た毛利さんに父を呼んでもらった。その後でドイルに代わったのだが、電話を終えてボックスから出てきたドイルが開口一番にこう言ったのだ。

「遼一郎もここへ呼んだ」と





     3




 どこかで水の滴る音が聞こえる。廊下の雨漏りは止んだはずだが、他にも新たに雨漏りしている箇所があるのだろうか。

(雨漏りじゃなく、水漏れだったりして……)

 なにしろ築八〇年を超えるオンボロ洋館なのだ。老朽化していない箇所を捜すほうが難しい。表からは見えない水道やガスなどの配管も、前の当主、伯父の敬一郎なら定期的に業者に頼んでメンテナンスしていただろうが、遼一郎が譲り受けた後のことは不明だ。少なくとも篤史が居候してからは一度もなかった。

(水道代、大丈夫かな……)

 篤史はふと、大学時代に同級生が二万円もの水道代を請求されて困っていたのを思い出した。地方から上京し、アパートでひとり暮らしをしていたのだが、朝トイレに入り、水を流してから部屋を出て夕方まで大学で講義を受け、夕方にアパートに戻ったら、まだ水が流れていたらしい。

(タンク内に浮いてる白い玉みたいなのあるじゃん? そこから鎖で給水弁に繋がってるわけだけど、その鎖が他の金具に引っかかって給水弁が開きっぱなしになってたんだよ。朝から夕方まで九時間も)

 九時間で水道代の請求が二万円   このまま放置していて大丈夫だろうか?

 いや、給水時の水流だから九時間で二万円になったのであって、ぽたりぽたりと一滴ずつ垂れている程度なら、それほど高額にはならないはずだ

「水漏れより、仕事が優先」

 篤史は思わず首を振った。水音が気になるのは、要するに集中力が切れてしまっているからだ。没頭していれば、BGMのように聞き流せるはずだ。

 そう必死に言い聞かせながらペンを握る。残りは二枚。そのうち一枚ももうすぐ終わるから、明日までには余裕で描き終えるはずだ。

 いや、その余裕が逆にテンションを下げているのかもしれない。今日終わらなくても明日があるさと怠けたがっているのか。

 そもそも好きでやっている仕事ではないことが、原因かもしれない。確かにイラストレーターは少年時代の夢の一つだったが、こんな血みどろのイラストを描くことではなかった。

 中学時代によくスケッチしたのは平和な日常の風景だ。美大を卒業後に短期間   自殺未遂のせいでクビになるまで勤めたデザイン事務所では最新型のパソコン(所長がコンピュータおたくで、「これはマッキントッシュであって、パソコンではない。パソコンは『パーソナル・コンピュータ互換機』の略でIBM社の小型コンピュータとその互換機を差す」が口癖だったが)があったので、CGでのデザインに夢中になった。

 手で描くイラストやデザインも好きだが、たとえば「芸術は爆発だ」的な、渾身の力をキャンバスにぶつけるような描き方とは対極にいるのが自分だと思う。魂をかき乱すような芸術ではなく、心を穏やかにする優しいデザインやイラストのほうが好きだし、描きたいものなのだ。

 そう、少なくとも死体のイラストではない。断じて、ない。それなのに描かなければならないのは、仕事だからか。

 無論、デザイン事務所にいた間にも、気の進まないデザインをやらされたこともあった。でも、就職したばかりの下っ端だったし、それで給料をもらえる以上、不満を呑み込んで文句も言わずにこなした。どの業界も過当競争で、事務所自体も仕事の選り好みができるほど大手ではなかったから、篤史が仕事を選り好みできないのも当然だと思った。

 独立し、フリーランスで活躍している一流のデザイナーたちは同僚たちの憧れだったし、「事務所名でなく、自分の名前だけで仕事ができる」ことを夢みている同僚も多かったと思う。

(……贅沢なのかな……)

 とりあえず篤史も、傍から見れば「フリーランス」のイラストレーターだ。たとえ遼一郎の付録のようなものであっても、超マイナーなミステリー雑誌であっても、「月刊・空中楼閣」には、「イラスト 宮城篤史」と印刷されている。

 いつか新聞や雑誌などのメディアに掲載されることを夢見ているイラストレーター志望者から見れば、実情がどうあれ「贅沢だ」と批判されるかもしれない。たとえ意に染まないイラストでも、商業のメディアに掲載されるのを、喉から手が出るほど欲している志望者は大勢いるだろう。

 厭なら自分にそのチャンスを譲って欲しいと言う者もいるかもしれない。遼一郎の重箱の隅を突くような苦情攻撃で過去に幾度となく交替したイラストレーターたちの中にも、最初は乗り気で引き受けた者もいただろう。

 だが

「毛利さん、変なこと訊いていいかな?」

 今朝方、美雪が張り切ってドイルに会いに出て行ったあと、雨漏りで濡れた廊下に、せっせと雑巾がけしていた毛利になにげなく尋ねたのを思い出す。

「変なこと?」

「変というか突拍子もないことというか。もしも毛利さんが、時代劇以外の出演依頼があったら、どうする?」

「出演って、お芝居の役としてですか」

 雑巾を持つ手を休めず、毛利が聞き返した。

「そう。たとえば現代の刑事ドラマとか。犯人役じゃなく、ちゃんと台詞もある重要な役だったら?」

「お断りします」

「……即答だね」

「拙者は時代劇のみの役者ですから」

「でも、アルバイトで結婚式の司会とかやってるじゃん」

「司会は演じるのとは違います。実家の呉服屋でお客様に応対しているのと同じようなもので」

「……そうか。でも、役者って他人を演じるわけだろ? どうしても時代劇でなきゃ駄目なわけ?」

「もちろんです」

 再び即答した毛利が、そこでやっと雑巾から手を離し、床に正座した。「早い話、拙者は武士になりたくて役者をやってるんです。あの時代の武士に。ですから、台詞のない斬られ役でも、いいんですよ。斬られる瞬間は、武士ですから」

「……タイムスリップしたようなもの?」

「たいむ……時間旅行ですか? 違います。あくまでもあの時代の武士になりきっているんですよ。ほんの数分でも   もちろん台本には『その他大勢』の斬られ役一人一人の細かな設定など書いてありませんが、浪人か藩士かで衣装も違います。それでどういう立場なのか、なぜ斬られるような行動を取るのか想像して、その役の人生を生きているつもりで主役に刃を向けるわけです」

「……そこまで考えるのか」

 TVの時代劇なら、画面に映るのはほんの一瞬のときもあるだろう。「そうか……。もしかして、TVに映っている時間は関係ないわけ? 撮影所で武士を演じている時間が大切?」

「そう、その通り」

 毛利が文字どおり、膝を打った。「さすがは宮城さん。そうなんでござんすよ。TVの視聴者にどう見えるのか、は二の次なんでござんす。もちろん本物に見えるのも大切ですが、武士を演じている時間が拙者には大切ですし、その時間のために役者をやってるんですよ」

「……徹底してるんだな……」

 篤史は妙に感心したのを憶えている。呉服屋の息子で、経済的には心配のない気楽さから、なかば趣味の延長で斬られ役を続けていられるものと誤解していたのだ。「潔いというか。だって、今は時代劇も現代物も両方出る役者は多いだろ? 現代物のドラマで注目されて有名な時代劇にも出演できる役者さんもいたりするから、チャンスだと割り切ったりはしないのかな……って」

「チャンス……まあ、そうですねえ……。役者志望にも多様なタイプがいますから。拙者のように時代劇しかやりたくない役者もいれば、時代劇でも現代劇でも、しぇいくすぴあの翻訳物でも、『ただ誰かを演じたい、演じるのが好き』という役者もいます。ま、『役者』であることが第一目的で、演じることそのものはどーでもいい、なんていうのは論外ですけど、いるにはいますし」

「……演じることそのものは、どーでもいい、って?」

「ほら、あれですよ。有名な役者さんは格好いいじゃないですか。ファンが群がってキャーキャー言ってて。その役者さんの立場に立ちたいんですよ」

 毛利が軽く肩を竦めた。「作家や画家志望にも、似たような人がいるんじゃござんせんか? プロになるのが第一目的になってしまって、肝心の作品が後回しになってる人」

「……いるかも。でも、作品が後回しでプロになれるかな……。まあ、後回しでも実力があってプロになれる人もいるかもしれないけど」

「かもしれませんね。創作の世界は、どのお仕事でも、似たような例はありますし……それに、生活費を稼ぐ必要があるとなれば、不本意でもやらなければいけないこともあるでしょうし。拙者のように実家が商店で、結婚式の司会でアルバイト料をもらえるような気楽な境遇は少ないでしょうしね」

 呑気そうに毛利が笑った。「よく言われます。足りないって、ええと、はんがー、じゃない」

「ハングリー精神?」

「そう、それです。日本語で言うと『飢え』でしたっけ?」

「……そうだけど……。でも、毛利さんの場合は、足りないわけじゃないと思う。っていうか、足りない、って言った人、なんか勘違いしてないかな。食えないほど困窮してないのと、ハングリー精神がないのとは別だと思う」

 遼一郎だったらもっと明確な違いを説明できるだろう。もどかしかったが、毛利には通じたらしく、照れくさそうに笑うと、またせっせと雑巾がけを始めたのだった。

 和服に襷掛けの姿で、背中では三つ編みにした長髪が馬の尻尾のように揺れていた   ……。

(……こういうのを、「迷いがない」って言うんだな……)

 篤史はふたたび感心したものだ。羨ましいとさえ思った。

(……俺、何やってるんだろう?)

 午前中から、ぐるぐると同じ疑問が脳裏を渦巻く。答えはない。あるはずがない。ただ時間を無駄にしているだけではないか。

 いや、時間の無駄なら、もう何年も   いや、突き詰めれば生まれたときから、そうではないか。

 過去二十四回も繰り返した自殺未遂。この屋敷に居候してから、たいてい治療してくれるのは遼一郎の友人である医師、伊藤で、心臓外科の名医であるがゆえに、治療よりも説教の時間が長い。曰く、

「走りたくても病気のために走れず、生きたくても生きられない患者がどれほどいるのか考えろ」

 そして説教の決まり文句は、「おまえは贅沢だ」

 正論だと思う。イラストの仕事や風邪くらいしか引かない健康体であることを含め、渇望しても叶わない者から見たら、篤史は贅沢なほどの状況にいる。

 しかし

 ふたたび、どこかで水の滴る音が聞こえた。ぽたり……ぽたり……。

(……そうか)

 ふいに答えが見つかったような気がした。

(俺は渇望してはいないんだ……)

 渇望どころか、欲しいと願ったこともない。喉が渇いていないのに、無理に水を飲まされているようなものではないか。

 ならば、どうすればいいか   飲みたくもない水を飲まなくていい方法は

(……方法は……ある)

 篤史はペンを置き、立ち上がった。





     4




 特別展望台へのエレベータに乗れる順番になったのは、大展望台で三十分ほど待った後だった。例の男たちも、予約チケットと電光掲示板に表示される数字を見比べながら特別展望台行きのエレベータ乗り場へと向かっている。

 父と毛利さんはまだ来ない。JR中央線で東京駅まで四十分以上はかかるし、東京タワーに到着しても、そこでまたエレベータの順番待ちだ。

「では行くか」

 ドイルもチケットを手に歩き出した。ここで父たちを待っていたら、チケットが無駄になるし、見逃したらまずいのだろう。美雪も後を追った。

 せっかくの眺望そっちのけで尾行が目的になってしまった感があるが、それはそれで楽しい。ちょっとした探偵ごっこをしているようなものだ。しかも一緒にいるのが現役のニューヨーク市警の警部なのだから、滅多にないチャンスだろう。

 エレベータ乗り場までは階段かエスカレータを利用して行くのだが、例の男たちはエスカレータを使っている。ドイルもやはりエスカレータにするらしい。男たちとドイルの間には、家族連れらしい四人が挟まっている。つかず離れず   これが尾行に適度な距離なのだろうか。

 特別展望台行きのエレベータは   なんと表現すべきか、拍子抜けする、いや予想外の代物かもしれない。特別に設計されたエレベータではなく、そこらへんのビルによくある荷物用エレベータなのだ。しかも一基しかない。定員は十一人。案内係のお姉さんが、グループ毎に人数を確認して十一人以内に収まるように区切っている。

 例の男たちと別になってしまわないか、美雪は心配だったのだが、無事に乗り合わせることができた。幸運に感謝しつつ乗り込むと、エレベータはあっという間に特別展望台に到着   例の男たちは真っ先に降りたが、

「なんか窮屈だな」

 そんな会話が聞こえた。たしかに、先ほどまでいた大展望台に較べれば、窮屈だと感じてしまっても仕方がない狭さかもしれない。なにより天井が昔の住宅程度しかないから、背の高い人なら腕を伸ばしただけで天井に触れるだろう。美雪でさえ背伸びすれば指先が触れそうなほどだ。

「もとは建築時の作業台だったそうだから」

 つい小声でそんな弁明をしてしまったのは、ドイルをがっかりさせたくなかったからだ。

「作業台ってことは、ここを足場に頂上まで組み立てたわけか」

 ドイルはがっかりするどころか、興味を惹かれたらしい。「歴史の深みもあって面白いな。エンパイア・ステートビルには飛行船を繋留できる設備があったりするが」

「飛行船?」

「竣工が一九三一年だから。もちろん実際に使われたことはないが、当時の大量輸送機関は、『船』だったんだろう。商業ベースでの交通機関として成功するのも飛行機ではなく飛行船だと予想されたわけだ」

「……つまり、未来の船着き場みたいな予定で作られたわけ?」

 美雪は驚いた。エンパイア・ステートビルほどの高層建築ができる時代だったのに、空の輸送機関はまだ開発途上だったのか。「一九三一年   日本は昭和六年。そうか、まだ外国に船で行ってた時代だから、今のジャンボジェット機なんか想像できないね。高さは東京タワーより高いんだよね?」

「四四三・二メートル。一〇三階建てだ」

 意外なのか、それとも当たり前なのか   ドイルはエンパイア・ステートビルに詳しいらしい。「東京タワーは?」

「ええと、三三二・六メートル。一九五八年竣工」

 一方、美雪は観光案内所でもらった無料のガイドブックを読みあげるしかないのだから、少し情けない。「電波塔だから『何階建て』という表現は適切じゃないけど、部屋がある部分は地上十六階建てだって」

「エンパイア・ステートビルは一九三三年にキングコングに襲われて」

 唐突にキングコングが出てきて、さらに驚く。この颯爽としたニューヨーク市警の警部が、キングコングだなんて。

 とはいえ、この種の特撮映画なら、美雪も詳しいのだ。

「東京タワーは一九六一年にモスラに破壊されて」

「モスラ? ゴジラじゃないのか?」

「ゴジラも襲ったけど、最初に襲ったのはモスラ。ゴジラの最初の映画が公開されたのは、一九五四年だから、まだ東京タワーは存在してないんだよ」

「……なるほど、建築前か」

 うなずいたドイルが、ふと何かを思い出すように眼を細めた。「東京タワーもキングコングに襲われたことはなかったか? 日米合作の映画かな」

「よく知ってるね。ええと、一九六七年かな。『キングコングの逆襲』」

「そう、それだ」

 正解だとばかり指を鳴らしたドイルが、不思議そうに美雪を見やった。「古い映画なのに、よく知っているな」

「ばーちゃん   僕の祖母が古い映画が好きで、名画座だけでなく、ビデオも購入したり、レンタルビデオ店を利用したりするのにつきあっているうちに、特撮映画にはまって借りまくっていた時期があったんだよ」

 あれは何年前だろう。まだ高校生になってなかったはずだ。「今の東京とは違う風景に、これが父さんが子供だった頃の風景なのか   子供だった父さんの目に映っていた景色なのかなあ……って……。こう……憧れのようなものを感じたからかも」

「遼一郎が子供だった頃、か……」

「そう。あ、父さんから聞いてない? 僕、ちょっとした事情で父さんと別に暮らしてるんだよ。生まれたのはニューヨークなんだけど、まだ赤ん坊の頃に父さんと一緒に東京へ戻ってきて、その直後に父さんはじーちゃん   僕の祖父で、つまりは父さんの父さんに『勘当』   ええと、親子の縁を切られたわけ」

「……なぜ、縁を切られたんだ?」

「父さんの説明によれば『同性愛者だから』だって」

「なるほど。それで君は祖父母に育てられたわけか」

「そう。ずーーーーっと『父さんも母さんも死んだ』ものだと教えられてたんだよ。でも、あるとき、ばーちゃんが教えてくれたんだ。父さんは生きてて、あの屋敷に暮らしてるって。それで一人で会いに行って」

「何歳のとき?」

「十二歳かな。中学生になる直前の新年   雪が降った日で……」

 今は遠い昔に思える雪の日を思い出し、美雪はつい笑い出してしまった。「それがさ、連絡せずに会いにいったから、チャイムを鳴らしても誰も出てこなくて。要するに父さんが居留守を使ってたんだけど、そんなの僕にはわからないだろ? 昼間でも雪が積もってて視界が悪いし、近所にあるのはあの霊園だけだし、新年で雪となれば墓参客もいないし……」

「心細かった?」

「そう。『父さんに会える』って意気込みでハイになってたのに、急転直下。寒いし、心細いし   それで僕、何をしたと思う? 雪の積もった庭に座り込んで、持ってた雑誌『月刊・空中楼閣』の最新号を手当たり次第に破ってたんだよ」

 実は雑誌を破りながら泣きじゃくっていたのだが、そこまで口に出すのはちょっと恥ずかしい。

「何十分も、ただ雑誌を破り続けたのか」

「そう。父さんの作品が掲載されたページだけは、さすがに破けなかったけど。それ以外は、細かくちぎって……。運良く父さんの友人が遊びに来なかったら、どうしてたかな」

「遼一郎の友人?」

「伊藤さんて名前で、あの屋敷の最寄り駅の近くにある大きな病院の院長さん。髭もじゃで父さんより何歳か年上なんだけど、僕のじーちゃんと、伊藤さんのお父さんが親友だった縁みたい。二人とも医者だから」

「医者同士の友人か。それでその伊藤が君を見つけて、遼一郎を呼んでくれたのか」

「そう。軽々と僕を肩にかついで玄関まで連れていってくれて   というより、怒鳴り込んだ感じかな。そしたら、父さん   僕が名乗らなくても、すぐに息子だってわかってくれてね。両手で伊藤さんから僕をこう……奪い取るみたいにして抱き上げてくれて。それから、『美雪』って僕の名前を呼んでくれたんだ」

 そして父は続けてこう言ったのだ。「『お父様』と呼ばれるのも『パパ』と呼ばれるのも好かん。『父さん』と呼びなさい」

 それが父の初対面の挨拶だった。忘れられない十二歳の新年

「……良かったな」

 ドイルの声は冷静なままだったが、こころなしか優しい響きがあるように感じられた。

「うん。すごく嬉しかった」

「そうか……」

「でも……母さんはまだ行方不明なままでさ」

 美雪は思い切ってドイルに尋ねることにした。「じーちゃんとばーちゃんも興信所に頼んで調べてもらっても駄目だったみたいでさ。ニューヨークにいるのは確かなんだけど……調べる方法はないかな?」

「……母さんに会いたいのか。いや、愚問だな」

 ドイルが片頬で笑った。苦笑なのか自嘲なのか、どちらにも見える。

 警察官なら   と言いかけて、美雪は口をつぐんだ。あの二人の男たちに聞こえたらまずい。

 その男たちは、窓に貼りつくようにして眺望を楽しんでいるようだ。狭いので最前列には割り込む隙間もないほど人が並んでいる。美雪とドイルは人の頭越しに景色を楽しむしかないのだが、それでも大展望台からの眺望とは段違いだった。山手線の反対側にある新宿の高層ビルまで見えるではないか。さすがに父の屋敷がある東京都下までは見えないようだが

「さて、帰るか」

 例の男たちが、窓辺から離れ、人混みをかき分けるようにして戻っていく。せいぜい十数分しか経っていないのに、もう飽きたのだろうか。それとも他に用事があるのか。

「そろそろ待ち合わせの時間だな」

 ドイルが腕時計を掲げてから、歩き出した。尾行を続けるには一緒に帰るしかないのだが、十一人乗りのエレベータが一基しかないのは、やはり不利だと思う。

 行きも帰りも同じ人間が乗り合わせる偶然なんて   怪しまれないだろうか。いや、他人は自分が思うほど自分を見ていない、心配するのは自意識過剰だと考えるべきか。

 またしても同じエレベータに乗り込み、下降する間、美雪は敢えて男たちに背を向け、天井を見上げていた。隣に立っているドイルがどうしていたのかは知らない。

 息が詰まるような時間ののち、エレベータは大展望台に到着した。行きは二階から乗り場に向かったが、帰りに到着するのは一階だ。乗客の乗り降りをスムーズにするための措置だろうか。理由はともかく、一階は二階ほど混雑してはいなかった。

 お茶を飲みながら眺望を楽しめるカフェもあるのだが、男たちは目もくれず、地上へ降りるエレベータへと向かっている。

(……父さん、今、どこにいるんだろう?)

 まだ東京タワーに到着していないのか。それとも、このすぐ上の階、つまり大展望台の二階で特別展望台へ昇るエレベータを待っているのか。

 もしも行き違いになったら

(篤史に伝言を頼む、って手もあるよな……)

 屋敷に電話して篤史に伝言を頼めば、父が電話したときに篤史から伝えてもらえるはずだ。父もその方法で篤史に伝言を残してはいないだろうか?

 警察だったらポケベルや無線機も使えるし、アメリカのドラマでは自動車電話や携帯電話も最近はよく見かけるのだが、どれもこれも美雪には無縁の代物だ。ドイルも東京にいる今は拳銃と同じで、どの連絡方法も使えないだろう。

「心配するな」

 ドイルのささやき声が聞こえた。「行き違いにはならん」

 その声の響きには、確信が感じられた。美雪はただうなずき、ドイルに従った。今度も男たちとともに下りのエレベータに乗り込み、地上へ

 東京タワーの地上にある五階建てのビル、フットタウンの屋上が、消防士たちの階段昇降レースでも使ったはずの直通階段の上り口だ。三階には蝋人形館など遊べるスペースがあり、子供連れの客が三人降りた。二階がフードコートや飲食店、土産品店などがあり、ここでも何人か降りたが、例の男二人は食事も土産も不要なようだ。

 そして一階   ドアが開くと、順番待ちの行列が真っ先に見えた。つい二時間ほど前は美雪もここに並んでいたのだ。

 男たちはさっさと降りていく。ドイルも続いたが、今度は間に人を入れずに、背後霊のようにぴったりと後ろについている。もはや尾行を隠す必要はないと判断したのだろうか。

 美雪もドイルの背後霊のように続いて降りたが、行列の横を素通りしている途中で思わず足を止めそうになってしまった。

 行列の後ろ、チケット売り場などがあるカウンターの前にいる別の男二人が眼に飛び込んできたからだ。

 遠目だが、見間違うはずがない。一人は背が高く、もう一人は珍しい和服姿だ。

「おい、いったいなんだよ?」

 ドイルがぴったりくっついていた大柄な男が、邪魔そうに腕を振り回しながら振り向いた。「貴様、××××××!」

 ×の部分は美雪にも意味がわかったが、日本語にするのが憚られる卑猥な言い回しだ。要するに男はドイルが痴漢かと勘違いしたらしい。

「残念だが、俺も相手は選ぶ」

 ささやくほどの小声だったが、低く響くドイルの声の迫力に、男は振り上げた腕を止めた。いや、より威力があったのはドイルの視線かもしれない。「ただ訊きたいことがあるだけだ」

「……おい」

 ひょろひょろの男も振り向いたが、ドイルににらまれ、大きく唾を飲み込んでいる。「何が……?」

「一緒に来てもらいたい。ほんの三十分ほど話を聞くだけだ。日本の警察に通報もしない」

「……警……」

「俺はニューヨーク市警の刑事だ。階級は警部」

 ドイルがちらりと上着の裾を翻した。ベルトのあたりにバッジのようなものが見える。青い地の色に金色に輝く二つの帯のような模様だ。

「……嘘つけ」

 男たちは信じられないように、引きつった笑みを浮かべている。「偽物だろ?」

「大人しく彼に従ったほうが身のためだと思うが」

 ふいに背後から掛けられた声に、男たちは硬直した。もちろん、その声の主は、父、遼一郎だ。隣には毛利さんも立っている。

「この二人が、問題の不埒者なのですな」

 日本語だが、和服に三つ編みにした長髪の男の異様さは、男たちにとって「サムライ」を彷彿とさせるものだったのかもしれない。

「……わかったよ」

 あっさりと降参したのは、二対三(美雪は敵の勘定には入ってなさそうだ)では不利だと悟ったからか。逃げようにも観光客であれば、土地鑑などゼロに近いだろう。

「では、こちらへ」

 父が先に立って歩き出した。ドイルも土地鑑ゼロだろうから、ここは父に任せるつもりらしい。男たちを挟むようにして歩き出す。

 毛利も後に続き、美雪も遅れまいと小走りになると、

「遠野センセの予想より早かったですな」

 毛利が呑気そうにつぶやいた。

「ここで待ってたの?」

「お待ちしたのは十五分ほどでしょうか。『ここで待っていれば行き違いになるはずがない』と仰せで」

「真理だ」

 父のそっけない英語が割り込んだ。「昇り終われば必ず降りる」

「片道ではなく往復チケットだからな」

 ドイルがうなずいた。「起点と終点が重なるから、往復と言う」

「……はあ? いったい何の話だよ?」

 迫力のある日米三人の男たちに囲まれた凸凹コンビの、困惑した声は、東京タワーに集い、楽しげに笑いあう観光客たちにとって、ただのBGMでしかなさそうだった。





     5




 カラン……と軽い金属音が聞こえた。

 きっと手から落ちた剃刀の刃だろう。もう腕に力が入らない。

 ぽたん、ぽたん……。

 またしても水が滴る音が聞こえる。

 いや   水ではなく、血の滴る音か。

 モザイクタイルがひび割れたバスルームの床に座り、バスタブに寄りかかった篤史は、朦朧とした意識の中で、ときおり聞こえる音だけを追いかけていた。

(今度こそ、失敗しない……)

 今度こそ、邪魔する者は誰もいない

 なにしろ遼一郎も美雪も毛利も、東京タワーにいるのだ。どんなに急いでも帰宅するまでに一時間はかかる。

 そう、今度こそ失敗しない





     6




 東京タワーの周辺は急勾配の坂が多い。坂を降りた途中に交番があり、その横に広がるのが芝公園だ。

 交番の前を通りかかったとき、凸凹コンビは、顔を見合わせてから陽気な声をあげた。

「面白かったな、東京タワー」

「そうだな。ブルックリンに帰ったら、エンパイア・ステートビルにも行ってみるか」

「行ったことないのか?」

「ねえよ。まあ、マンハッタンに出るのもせいぜい月に一度だし、あのビルはいつ行っても観光客が列を作ってるし、ツイン・タワーのほうが見晴らしもいいしさ」

 どうやら、凸凹コンビはニューヨークの出身だったらしい。ブルックリンとかマンハッタンとかいうのは、東京の中央区とか港区のような区に相当するものだろう。つまり、ドイルの地元ではないか。

 これも偶然か   それともドイルには彼らがニューヨーク出身だと判断できる要素があったのだろうか。

 その答えは、交番に駐在している警官たちに怪訝に思われることなく素通りし、芝公園内に入ってから、すぐにわかった。

「君たちがブルックリン在住なのは東京タワーでエレベータを待っていたときから知っている。プロスペクト・パークといったブルックリンに馴染みの地名が幾つも聞こえたからな」

 さりげなくドイルが切り出した。声から威圧感が消えてはいても、視線の鋭さは変わらない。

 凸凹コンビの一人、大柄な男は忌々しげにドイルを睨み返していたが、「プロスペクト・パーク」という地名が出た瞬間、「そうか」と、軽く舌打ちした。

「もしかして、あれか? 拳銃の話」

「そうだ。君が違法な銃の密売をしているのは、不問にしよう。ここはブルックリンではなく、東京だからな。俺が知りたいのは、君が銃を売った男だ」

「……黙秘権ってのは?」

「では、ブルックリンに戻ってから、あらためて君たちを逮捕することにしよう」

「不問にするって言ったくせに」

「君が銃を撃った男について教えてくれれば、の条件つきだった。まあ、密売だからこそ、客を密告するのは信用にかかわるから話したくない、のはわかる。だが、ここは東京、日本だ。密告したことを知られる心配はない」

「馬鹿言え、そいつが逮捕されたら、知られるだろうに」

「君たちが密告したと悟られない方法で逮捕する。それでも不安なら、運が悪かったと諦めるんだな」

「運が悪かった?」

「そうだ」

「ふざけんなっ!」

「ふざけてない。東京観光に来たのに、アメリカの警官に   しかもよりによってニューヨーク市警の刑事がすぐそばにいるのに気づかず、密売の話をしたんだからな。本当に運が悪かったな」

 ドイルはもっともらしくうなずき、父へ視線を向けた。「君もそう思わないか?」

「いや、むしろ運が良かったかもしれん」

 父はおかしそうに笑い、かたわらに片膝をついて待機中の毛利さんに手を振った。「サムライの末裔に対面できる機会は滅多にあるまい」

「……サムライの末裔……」

 凸凹コンビのひょろひょろ男が、見る間に真っ青になり震えている。

(毛利さんの家って、江戸時代から呉服屋じゃなかったっけ?)

 美雪の脳裏に、素朴な疑問が浮かんだが、口には出さないことにした。

「ほ……本当に、内密にしてくれるのか? 俺が喋ったことを」

 大柄な男も、震えこそはしないものの、やはり毛利さんの存在が気になるようだ。

「約束する」

「じゃあ、もう一つ。俺が喋るのは、なにもサムライの末裔とやらに怯えたからじゃねえぜ? 根っからの悪党じゃねえし、ときには心配になる客もいるからだぜ?」

「心配だから、その客の思い出話をしていたわけか」

「そう……。ほら、さっき東京タワーに消防士がいたのを憶えてないか? 日本だけじゃなく、ニューヨークの消防士も何人か」

「いたな。階段昇降レースの参加者らしいが」

「それだよ。あ、でも、あそこにいた消防士は関係ねえ。ただ、消防士を見てたら、思い出しちまったんだよ」

「銃を買った客も消防士なのか」

「……正確には『元』消防士だな。俺んちの近所のアパートに住んでてさ。去年まで消防士の仕事に張り切ってたんだけど……。辞めちまったんだ」

「辞めた理由は?」

「仕事中にミスって、同僚を死なせちまったとか」

「……なるほど。それで今は?」

「無職じゃねえのかな。昼間っからプロスペクト・パークでふらふらしてるのをよく見かけるから」

 男が溜息をついた。「だから、俺、そいつから『拳銃の都合がつくか』って頼まれたとき、最初は『やめとけ』って断ったんだよ。自暴自棄になってて、なにするかわからねえからよ。下手すりゃ自殺でもするんじゃねえか、って……。でも、そいつは『練習したいだけだ』っていうしさ、話を聞いてるうちに『売ってもいいか』って考え直したんだよ」

「どんな話だ」

「……同僚を死なせたミスをしたのは、銃声が聞こえたからなんだとさ」

「もっと詳しく」

「火災の原因そのものが、ギャング同士の抗争だったらしくてさ、銃弾がオイルか何かに引火したのかな。おまけに消防車が駆けつけたときも、まだ撃ち合いが続いてたとか。それでも建物内には救助を待つ連中が大勢いるから、行かなきゃならない。そいつも同僚と一緒に飛び込んだらしいが   途中で銃声が聞こえて、足が竦んじまったそうだ。気がついたら逃げ出してたとか。その間に同僚は一人で上の階に進み   戻ってきたときは、もう遺体だったらしい」

「……つまり、銃声に怯えて逃げた自分が許せないから、『練習したい』わけか」

「じゃねえかな。まあ、消防士に復職できるのかどうかは知らねえけど、立ち直る切っ掛けになるなら、人助けだと思ってさ。だから、今度ばかりは商売っ気抜きで、素人でも安全に扱えそうな銃を選んで、弾薬と一緒に用意しておいたのにさ」

「弾薬を忘れて、拳銃だけ持っていったわけか」

「……そうなんだよ。取りに戻ってくるのかと待ってるんだが、まだだし、そのあと、プロスペクト・パークでも姿を見かけないしさ」

「そいつが拳銃を買ったのは、いつだ?」

「先月かな。ええと、ほら、大雪が降った日」

「二月の中旬だな」

 うなずいたドイルが、男をにらんだ。「他には?」

「他って……それだけだよ。名前も教えなきゃならねえのか?」

「名前はいい。そのギャング絡みの火災は記憶している。殉職した消防士の名前もニュースで報じられた。その直後に辞職した消防士がいたなら、調べればわかる。おまえが嘘をついていたとしても、すぐにわかるわけだ」

「……嘘はついてねえよ。俺だって、あいつが心配なんだよ」

「その言葉を信じよう。帰っていいぞ」

「……いいのか?」

「二言はない。ただし、俺は東京の刑事にも知人がいる。無事にブルックリンに戻る前に、逮捕されないよう注意するんだな」

「……しねえよ。ただの観光旅行なんだからさ。なあ、そうだよな?」

 唐突に同意を求められた凸凹コンビの片割れ、ひょろひょろ男が慌てたように、首を振る。

「そう。それに俺は、まっとうな店員だし。オフィス用品のチェーン店なら、まっとうだろ?」

「そうそう。俺だって銃は副業ってやつで、昼間はスーパーマーケットの食品売り場で働いてるんだぜ?」

 凸凹コンビは早口で捲し立てつつも、ドイルの気が変わらないうちに退散すべく、数歩ほど後ずさり、向きを変えると一目散に走り出した。公園の外へ

 それを視線だけで見送ったドイルが苦笑した。

「どこまでまっとうかは知らんが、成田の入国審査を通過できたからには、前科はなさそうだな」

「あの不埒者を追わなくていいんでござんすか?」

 片膝をついていた毛利さんが、立ち上がって怪訝そうに見送っている。さっぱり事情が呑み込めないようだ。

「これで終わり?」

 息を潜めて見守っていた美雪は、やっと声を出せる開放感よりも、興奮のほうが大きかった。ドイルの、ニューヨーク市警の警部としての捜査に立ち会ったのだから。

 さらに、あの凸凹コンビたちの話も、感慨深かった。名前も顔も知らない一人の消防士の苦しみまで感じられた。同僚を亡くした悲しさ、自責の念、挫折と後悔

「終わりだ」

 ドイルがうなずいた。「後は市警に連絡を入れてからの判断だな」

「連絡って、国際電話?」

「それ以外にないだろう。ホテルに帰ってからか……。公衆電話からもかけられるのか?」

「ええと……」

 残念ながら美雪は国際電話をかけたこと自体がないので、わからない。父を振り返ると、

「かけられる。オペレーターにクレジットカードの番号を伝える方法が手っ取り早いだろう」

 当たり前のように説明した父が、ふと周囲を見回し、電話ボックスに向かって歩き出した。「その前に、私も電話をかけておくか」

「篤史にかけるの?」

 訊くまでもないことだと思いつつ美雪が尋ねると、

「そうだ」

 父は振り向きもせずに答えた。





   Epilogue





 篤史が眼を覚ましたとき、見えたのは白い天井だった。

 何かが足りないような気がする

 まだ朦朧とした意識の中で、そう思った。

 何か……。

 そうだ、水漏れの音だ。水の滴る音は、もう聞こえない。

 いや、違う。もっと何かが足りない。

 たとえばヤニで黄ばみ、漆喰がひび割れた天井

 それから「祝」「自」「殺」「未」「遂」と一枚一枚に毛筆で書かれた原稿用紙を繋げた垂れ幕もどき

「馬鹿野郎! また命を粗末にしやがって!」

 頭上から大音声が聞こえた。この声の主は、遼一郎の奇特な友人、伊藤に決まっている。案の定、白い天井を遮るように、もじゃもじゃの髭面が見えた。

「……ってことは、病院?」

「決まってるだろうに。今回は発見が遅れて出血が酷かったから、救急車を呼ぶ羽目になっちまった。輸血までしたんだぞ? ったく、遼一郎から電話で『様子を見にいってくれ』と頼まれなかったら、どうなっていたか」

「……遼一郎は?」

「さっき電話があった。駅の公衆電話からだったから、間もなく来るだろう」

 その答えを待っていたかのように、ドアが開く音が聞こえた。「噂をすれば影だな。ちょうど目が覚めたところだ」

「そうか」

 短い返事とともに、近づいてくる足音が聞こえた。

「……美雪は?」

 篤史は天井を見上げたまま尋ねた。

「ドイルと一緒に東京観光を続行中だ。毛利は自宅へ帰った」

「……じゃあ、このことは知らないわけ?」

「教える必要はない」

「……そうか」

 今回も未遂で終わってしまったが、とりあえず、美雪に自殺現場を発見されなかっただけでも良かったかもしれない。

「ったく! 厄介なことばかり繰り返しやがって」

 伊藤の怒鳴り声が遮った。「遼一郎、おまえもたまには説教くらいしたらどうなんだ?」

「する必要はない」

「必要ない、って……。他人に厄介をかけてはいけない、ってのは小学生でも知ってることだろうに」

「たしかにそうだが、東京タワーから投身自殺をしなかっただけ、まだマシだ」

 遼一郎の声はそっけないほどさりげなかった。

「……東京タワー?」

 伊藤は怪訝そうだが、

「東京タワーに限らず、飛び降り自殺は、地上を歩く他人を巻き込むことが多い。しかも、巻き込まれた他人が命を落とし、飛び降りた本人は助かるケースもある。このほうが厄介だろう」

 遼一郎は滔々と屁理屈の説明を続けている。

 その声が、篤史にはなぜか子守歌のように聞こえ、ふたたび眼を閉じた。あの水漏れはどうなったのだろうと思いながら

(了)





あとがき





 本書は諸般の事情により、シリーズ未完のまま頓挫していた「厄介な連中」シリーズ(角川書店)の続編でもあり、同時に遼一郎の若きニューヨーク時代の物語のスピンオフでもある「ホーリー・アップル」シリーズ(講談社)の未来編でもあり、そして昨年暮れに発表した同人誌「ACORN vol.3」の続編でもあります。

 前回の同人誌はまだ助走段階でしたが、今回から少しずつ未来へ向かって物語が動いています。

 ちなみに、東京タワーでの消防士の階段昇降レースは、架空の設定ではなく、実際に行われているレースです。ニューヨークの消防士が参加した回があるのも、新聞などで報道されましたので、ご存じのかたもいらっしゃるのではないでしょうか。

 実はこの階段昇降レースも、おまけの短編として併録したいと思っていましたが、時間的な都合で後回しになってしまいました。機会があれば、形にしたいと願っております。

 また(ちょっとしつこいですが)前回のあとがきにも書きましたように、本書の時代背景は、あくまでも一九九〇年代です。スカイツリーの計画さえなく、コードレス電話がやっと一般家庭に普及し始めた頃で、携帯電話もパソコンもインターネットも、ごく一部のマニア専用でした。

 外出先で電話したかったら、公衆電話を使うしかなかった時代

 よく「DNA鑑定と携帯電話の普及でミステリの書き方も変化した」と言われますが、つい数年前に、そのDNA鑑定と携帯電話を駆使しながら捜査するニューヨーク市警の刑事たちの物語を書いていた私にとっても、携帯電話がないからこそ成立するエピソードは懐かしくもあり、また面白くもありました。

 とはいえ、今回も諸般の事情で、予定よりも短い物語になってしまったことは残念でもあります。次こそは、もう少し長めの続編が書きたいと願いつつ

 どうぞ、厄介な連中たちの物語を、お楽しみいただければ、幸いです。



二〇一三年八月               柏枝真郷





ACORN vol.4

 厄介な連中 16

 昇るか降りるか東京タワー

   同人誌発行日  2013年8月11日

   Kindle版発行日 2018年1月13日

   著者   柏枝真郷

   発行者  ACORN

   http://www.kashiwae.com/

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